职业: 制作人员
今は昔。
前世紀に光琳社出版という出版社がありました。
僕はその会社にいました。
そう。
僕は今のデザイナーとしての経歴を光琳社出版でスタートさせたのです。
いや、それどころか出版業界の片隅で生きている今の僕を作ってくれた会社です。
いやいや、それどころかそれまでブラブラとミュージシャンをしていた僕の会社員としてのスタートでもあったのです。
光琳社出版は知っている人は知っているまあまあ愛されていた出版社でした。
それは他の出版社では実現不可能と思われるビジュアル本をたくさん出版する会社だったからです。
光琳社出版の社長はアートをなんとか文化に定着させようと頑張っていたのですが、
リブロポートや多くの美術系出版物を発行する出版社が倒産してゆく中、
まあ僕らの力不足もあり、
また時代の流れ的にも資金繰りの難しい不況時代に突入していたこともあって、
それらに続くように多くのファンに惜しまれつつ1999年に倒産しました。
具体的な倒産の理由は色々あるのでしょうが、
『空の名前シリーズ』以外の売れる本をあまり企画できなかった、というのもあるでしょう。
でも大きな志しが会社のイメージを作り、
地道な出版活動の中で文化的価値を作り出してゆく、
という方法は決して間違っていなかったと思います。
そこには杓子定規な『タイトルは大きく』とか
『目立つ色で』なんていう営業販売のバカげたルールとは無縁の世界がありました。
僕はこの会社で4年程書店営業の主任も経験しています。
あまり経験豊富とは言えない営業活動期間ですが、
僕と社長と二人で全国を回って『空の名前』をヒットさせた営業経験から得た実感で言うと、
そんなバカげたルールは、実は本の売り上げになんにも貢献しないということです。
まあいい本だから売れた、という意見もありますが、
この本の誕生時は取次も書店も反応は冷たいものでした。
高いし地味だし。
売れるまで2年近くかかっています。
トーハンの窓口で配本のお願いに行った時なんか
「いい本と売れる本は違うんだよ」と言われて本をポンッと放られたことさえありました。
でも空の写真のパネルを自社で用意して、
全国の大型書店の担当者にお願いに行って、
「空の名前パネル展」を開催してそこでワゴンで売る、
という地道な活動を繰り返しながらなんとか売り上げが徐々に伸びていった、
という経緯があるのです。
つまりいい本を色んな人に知ってもらおうと、
全国の大型書店の美術書コーナー担当者と共に展開した
気の遠くなるような地道なプロジェクトだったのです。
営業は、本の顔は営業が決めるべきではない、という営業理念を持っているべきなのです。 「いい本だから僕らが売ろう!」という情熱がすべてなのです。
営業が売り難いからと始めから個性を捨てさせた本なんか売れるわけがないのです。
確かにあの本はいい本です。
企画をした三枝くんは間違いなくとてもいい仕事をしたと思います。
でも僕も社長も、あのいい本を埋もれさせず、
超ロングセラーにしたのは自分たちだと今でも思っています。
でも企画側も三枝くんのこの仕事のように、
営業が誇りを持って売り歩ける本を企画する、
ということを忘れないで欲しいと思います。
理想は企画編集もデザイナーも心の底から愛せる本を作り、
営業がいい本だから皆で力を合わせて売ろう!と頑張れるような連係で成り立つシステム。 後半はあきらめてますけども。
せめて前半はコンスタントに実現したいと思います。
前世紀に光琳社出版という出版社がありました。
僕はその会社にいました。
そう。
僕は今のデザイナーとしての経歴を光琳社出版でスタートさせたのです。
いや、それどころか出版業界の片隅で生きている今の僕を作ってくれた会社です。
いやいや、それどころかそれまでブラブラとミュージシャンをしていた僕の会社員としてのスタートでもあったのです。
光琳社出版は知っている人は知っているまあまあ愛されていた出版社でした。
それは他の出版社では実現不可能と思われるビジュアル本をたくさん出版する会社だったからです。
光琳社出版の社長はアートをなんとか文化に定着させようと頑張っていたのですが、
リブロポートや多くの美術系出版物を発行する出版社が倒産してゆく中、
まあ僕らの力不足もあり、
また時代の流れ的にも資金繰りの難しい不況時代に突入していたこともあって、
それらに続くように多くのファンに惜しまれつつ1999年に倒産しました。
具体的な倒産の理由は色々あるのでしょうが、
『空の名前シリーズ』以外の売れる本をあまり企画できなかった、というのもあるでしょう。
でも大きな志しが会社のイメージを作り、
地道な出版活動の中で文化的価値を作り出してゆく、
という方法は決して間違っていなかったと思います。
そこには杓子定規な『タイトルは大きく』とか
『目立つ色で』なんていう営業販売のバカげたルールとは無縁の世界がありました。
僕はこの会社で4年程書店営業の主任も経験しています。
あまり経験豊富とは言えない営業活動期間ですが、
僕と社長と二人で全国を回って『空の名前』をヒットさせた営業経験から得た実感で言うと、
そんなバカげたルールは、実は本の売り上げになんにも貢献しないということです。
まあいい本だから売れた、という意見もありますが、
この本の誕生時は取次も書店も反応は冷たいものでした。
高いし地味だし。
売れるまで2年近くかかっています。
トーハンの窓口で配本のお願いに行った時なんか
「いい本と売れる本は違うんだよ」と言われて本をポンッと放られたことさえありました。
でも空の写真のパネルを自社で用意して、
全国の大型書店の担当者にお願いに行って、
「空の名前パネル展」を開催してそこでワゴンで売る、
という地道な活動を繰り返しながらなんとか売り上げが徐々に伸びていった、
という経緯があるのです。
つまりいい本を色んな人に知ってもらおうと、
全国の大型書店の美術書コーナー担当者と共に展開した
気の遠くなるような地道なプロジェクトだったのです。
営業は、本の顔は営業が決めるべきではない、という営業理念を持っているべきなのです。 「いい本だから僕らが売ろう!」という情熱がすべてなのです。
営業が売り難いからと始めから個性を捨てさせた本なんか売れるわけがないのです。
確かにあの本はいい本です。
企画をした三枝くんは間違いなくとてもいい仕事をしたと思います。
でも僕も社長も、あのいい本を埋もれさせず、
超ロングセラーにしたのは自分たちだと今でも思っています。
でも企画側も三枝くんのこの仕事のように、
営業が誇りを持って売り歩ける本を企画する、
ということを忘れないで欲しいと思います。
理想は企画編集もデザイナーも心の底から愛せる本を作り、
営業がいい本だから皆で力を合わせて売ろう!と頑張れるような連係で成り立つシステム。 後半はあきらめてますけども。
せめて前半はコンスタントに実現したいと思います。
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