职业: 制作人员
編集者。白泉社顧問。新潟県小千谷市出身。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を発掘したことで知られる。
実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年(昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきらや堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。その流れから、1993年(平成5年)には創刊編集長として、後輩の高橋俊昌とともにゲーム雑誌『Vジャンプ』を立ち上げた。
本来、『週刊少年ジャンプ』の第5代編集長の最有力候補とされていたが、第4代編集長であった後藤広喜による「ちゃぶ台返し」により、鳥嶋にとっては後輩の堀江信彦が就任した。第3代編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に、その経緯が詳しく書かれている。
1996年(平成8年)2月に『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され6代目編集長に就任。『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果、1997年(平成9年)には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われたものの、この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。以後2001年(平成13年)6月まで『週刊少年ジャンプ』の編集長兼発行人となった。
その後、『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』を統括する第3編集部部長に昇格する。週刊ジャンプ発行人は引き続き鳥嶋名義で対応していた。2003年(平成15年)1月、鳥嶋の後任であった高橋が急逝した際は、追悼号となった2003年11号限りの編集長兼発行人として、高橋の追悼メッセージを掲載した。翌週号からは副編集長であった茨木政彦の編集長への昇格人事を行った。以降は週刊ジャンプ発行人としての任務は2008年に茨木から後任の佐々木尚にバトンタッチするまで続いた。
その一方で、週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価から、ライツ事業部部長に抜擢され兼任、2004年(平成16年)8月には集英社常勤取締役となる。なお、引き続き第3編集部部長職であり、2006年(平成18年)7月まで兼任していた。2008年(平成20年)6月設立の小学館集英社プロダクション取締役を兼任。2009年(平成21年)8月には集英社常務取締役、2010年(平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任。2015年(平成27年)8月に退任し、同年11月より白泉社代表取締役社長に就任する。2018年(平成30年)11月より白泉社代表取締役会長に昇任。2021年(令和3年)に白泉社代表取締役会長を退任し、白泉社顧問に就任。
2020東京オリンピック・パラリンピックのマスコット審査会メンバーの一員。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を発掘したことで知られる。
実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年(昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきらや堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。その流れから、1993年(平成5年)には創刊編集長として、後輩の高橋俊昌とともにゲーム雑誌『Vジャンプ』を立ち上げた。
本来、『週刊少年ジャンプ』の第5代編集長の最有力候補とされていたが、第4代編集長であった後藤広喜による「ちゃぶ台返し」により、鳥嶋にとっては後輩の堀江信彦が就任した。第3代編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に、その経緯が詳しく書かれている。
1996年(平成8年)2月に『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され6代目編集長に就任。『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果、1997年(平成9年)には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われたものの、この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。以後2001年(平成13年)6月まで『週刊少年ジャンプ』の編集長兼発行人となった。
その後、『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』を統括する第3編集部部長に昇格する。週刊ジャンプ発行人は引き続き鳥嶋名義で対応していた。2003年(平成15年)1月、鳥嶋の後任であった高橋が急逝した際は、追悼号となった2003年11号限りの編集長兼発行人として、高橋の追悼メッセージを掲載した。翌週号からは副編集長であった茨木政彦の編集長への昇格人事を行った。以降は週刊ジャンプ発行人としての任務は2008年に茨木から後任の佐々木尚にバトンタッチするまで続いた。
その一方で、週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価から、ライツ事業部部長に抜擢され兼任、2004年(平成16年)8月には集英社常勤取締役となる。なお、引き続き第3編集部部長職であり、2006年(平成18年)7月まで兼任していた。2008年(平成20年)6月設立の小学館集英社プロダクション取締役を兼任。2009年(平成21年)8月には集英社常務取締役、2010年(平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任。2015年(平成27年)8月に退任し、同年11月より白泉社代表取締役社長に就任する。2018年(平成30年)11月より白泉社代表取締役会長に昇任。2021年(令和3年)に白泉社代表取締役会長を退任し、白泉社顧問に就任。
2020東京オリンピック・パラリンピックのマスコット審査会メンバーの一員。
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