职业: 制作人员
出版地 東京
出版社 主婦の友社
刊行巻次 1巻1号[通巻]no.1(1978年9月)-[7巻10号通巻80号(1984年5月18日)]
刊行頻度 隔週刊
1984年2月14日、当時の自民党政調副会長だった三塚博が衆議院予算委員会の席上で、この「ギャルズライフ」を含むティーンズ誌5誌を名指しで「性欲雑誌」と糾弾しました。他の4誌は飛鳥新社「ポップティーン」、学研「キッス」、近代映画社「エルティーン」、平和出版「キャロット・ギャルズ」でした。今だったらかなり喧々囂々の大問題になりますが、当時出版界もそんなに過激ではないので、学研「キッス」と平和出版「キャロット・ギャルズ」は翌日にはあっさりと廃刊宣言しちゃいました。残った3誌も誌名変更や路線変更してゆきます。結局残ったのは「ポップティーン」(現在は角川春樹事務所刊行)くらいでしょうか。
出版社 主婦の友社
刊行巻次 1巻1号[通巻]no.1(1978年9月)-[7巻10号通巻80号(1984年5月18日)]
刊行頻度 隔週刊
1984年2月14日、当時の自民党政調副会長だった三塚博が衆議院予算委員会の席上で、この「ギャルズライフ」を含むティーンズ誌5誌を名指しで「性欲雑誌」と糾弾しました。他の4誌は飛鳥新社「ポップティーン」、学研「キッス」、近代映画社「エルティーン」、平和出版「キャロット・ギャルズ」でした。今だったらかなり喧々囂々の大問題になりますが、当時出版界もそんなに過激ではないので、学研「キッス」と平和出版「キャロット・ギャルズ」は翌日にはあっさりと廃刊宣言しちゃいました。残った3誌も誌名変更や路線変更してゆきます。結局残ったのは「ポップティーン」(現在は角川春樹事務所刊行)くらいでしょうか。
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