- 简体中文名: 不知火
- 别名: 不知火号驱逐舰
- 陽炎型駆逐艦2番艦
- しらぬい
- Shiranui
- 性别: 女
- 生日: 1938-06-28
- 体重: 2,033吨
- BWH: 长118.5m/ 幅10.8/吃水3.8m
- 引用来源: ja.wikipedia.org/wiki/不知火_(陽炎型駆逐艦)
- 图鉴编号: 92→367
- 画师: コニシ
陽炎型駆逐艦2番艦、不知火です。
陽炎らと共にハワイ作戦部隊の護衛も務めました。
運命のレイテ沖海戦では志摩艦隊に所属、スリガオ海峡に突入しました。
不知火」は陽炎型2番艦として浦賀船渠で1937年8月に起工、1939年12月に竣工し
同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。
「不知火」の名を持つ駆逐艦としては、日本海海戦にて第五駆逐艦隊旗艦として活躍した、英ソーニクロフト社製の初代に続き二代目。
なお、「不知火」とは九州八代海や有明海で夏の夜に発生する一種の蜃気楼現象であり、近代以前は妖怪のしわざ扱いされていた。
一方姉の名の「陽炎」は夏の真昼間、カンカン照りの時に起きる現象であり、陰陽対をなす言葉がそのままキャラにも反映されているのではないだろうか。
太平洋戦争開戦時には、同型艦「陽炎」、朝潮型「霞」「霰」と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。
1941年11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。
1942年1月8日、柱島泊地を出港し機動部隊とラバウル攻撃に従事、
以後、2月には第2航空戦隊のポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加し、
4月23日、呉に入港し入渠修理を行った。5月にサイパンに進出、6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加した。
6月28日、横須賀から水上機母艦「千代田」、「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカに向かった。
7月5日、第18駆逐隊はキスカ島沖で濃霧のため仮泊中していたが、あまりに沖合であり無防備に過ぎた。
案の定、米潜水艦「グロウラー」(SS-215)の雷撃を受け、「不知火」は右舷第一缶室に魚雷が命中、
艦体が断裂しかかり大浸水を起こして沈没に瀕するも、応急処置によりどうにか沈没を免れた。
この時の第18駆逐隊の被害はこれだけでなく、「霰」は一発目が命中後反撃に転ずるも二発目が命中、艦体が真っ二つに折れて轟沈し104名が戦死、
司令艦の「霞」も魚雷一本を受け艦首が破断大破、大火災が発生し10余名の死者を出した。
第18駆逐隊はたった一撃で「陽炎」以外の全艦が壊滅するという事態に陥ったのである。
米潜水艦「グロウラー」艦長はこの功績によって感謝状が授与された一方、
第18駆逐隊は「何をしていたのか」「油断していたのではないか」と海軍内で非難の矢面に立たされ
最終的に第18駆逐隊司令宮坂義登大佐が責任を取り切腹自決するに至った。
艦体が千切れかかった「不知火」の航行は困難を極めたため、救難隊は仕方なく1番煙突より前方を破壊切断し、
後進で曳航することによりどうにか帰還することができた。
8月15日、第18駆逐隊は解隊し、「不知火」は9月3日から翌年11月15日まで舞鶴工廠で1年以上にわたって大修理を実施した。
1944年1月、ウェワク輸送に従事、3月に呉工廠で水中探信儀装備工事を実施し、4月、北方部隊に編入され大湊、千島方面の護衛活動を行った。
6月に25ミリ機銃を増設し、6月末まで再び北千島方面で北方作戦に従事し、さらに硫黄島輸送、
8月12日、「木曾」「多摩」「霞」と共に父島への輸送に当たった。
10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属し、「那智」の指揮下「足柄」「阿武隈」「霞」「潮」「曙」とともにスリガオ海峡に突入。
しかし、志摩艦隊は先行した西村艦隊の「扶桑」「山城」が炎の塊と化している惨状を目の当たりにして愕然となり、
さらに旗艦「那智」が大破炎上漂流中の「最上」と衝突損傷したため進撃を断念。戦果はなく、コロン湾に帰投した。
2日後の27日、レイテ沖海戦で損傷した「鬼怒」の救助に向かったが発見できず、
帰途に米空母艦載機の攻撃によりフィリピン諸島シブヤン海にて沈没。荒艦長以下全員が戦死した。
同年12月10日に除籍された。
陽炎らと共にハワイ作戦部隊の護衛も務めました。
運命のレイテ沖海戦では志摩艦隊に所属、スリガオ海峡に突入しました。
不知火」は陽炎型2番艦として浦賀船渠で1937年8月に起工、1939年12月に竣工し
同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。
「不知火」の名を持つ駆逐艦としては、日本海海戦にて第五駆逐艦隊旗艦として活躍した、英ソーニクロフト社製の初代に続き二代目。
なお、「不知火」とは九州八代海や有明海で夏の夜に発生する一種の蜃気楼現象であり、近代以前は妖怪のしわざ扱いされていた。
一方姉の名の「陽炎」は夏の真昼間、カンカン照りの時に起きる現象であり、陰陽対をなす言葉がそのままキャラにも反映されているのではないだろうか。
太平洋戦争開戦時には、同型艦「陽炎」、朝潮型「霞」「霰」と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。
1941年11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。
1942年1月8日、柱島泊地を出港し機動部隊とラバウル攻撃に従事、
以後、2月には第2航空戦隊のポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加し、
4月23日、呉に入港し入渠修理を行った。5月にサイパンに進出、6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加した。
6月28日、横須賀から水上機母艦「千代田」、「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカに向かった。
7月5日、第18駆逐隊はキスカ島沖で濃霧のため仮泊中していたが、あまりに沖合であり無防備に過ぎた。
案の定、米潜水艦「グロウラー」(SS-215)の雷撃を受け、「不知火」は右舷第一缶室に魚雷が命中、
艦体が断裂しかかり大浸水を起こして沈没に瀕するも、応急処置によりどうにか沈没を免れた。
この時の第18駆逐隊の被害はこれだけでなく、「霰」は一発目が命中後反撃に転ずるも二発目が命中、艦体が真っ二つに折れて轟沈し104名が戦死、
司令艦の「霞」も魚雷一本を受け艦首が破断大破、大火災が発生し10余名の死者を出した。
第18駆逐隊はたった一撃で「陽炎」以外の全艦が壊滅するという事態に陥ったのである。
米潜水艦「グロウラー」艦長はこの功績によって感謝状が授与された一方、
第18駆逐隊は「何をしていたのか」「油断していたのではないか」と海軍内で非難の矢面に立たされ
最終的に第18駆逐隊司令宮坂義登大佐が責任を取り切腹自決するに至った。
艦体が千切れかかった「不知火」の航行は困難を極めたため、救難隊は仕方なく1番煙突より前方を破壊切断し、
後進で曳航することによりどうにか帰還することができた。
8月15日、第18駆逐隊は解隊し、「不知火」は9月3日から翌年11月15日まで舞鶴工廠で1年以上にわたって大修理を実施した。
1944年1月、ウェワク輸送に従事、3月に呉工廠で水中探信儀装備工事を実施し、4月、北方部隊に編入され大湊、千島方面の護衛活動を行った。
6月に25ミリ機銃を増設し、6月末まで再び北千島方面で北方作戦に従事し、さらに硫黄島輸送、
8月12日、「木曾」「多摩」「霞」と共に父島への輸送に当たった。
10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属し、「那智」の指揮下「足柄」「阿武隈」「霞」「潮」「曙」とともにスリガオ海峡に突入。
しかし、志摩艦隊は先行した西村艦隊の「扶桑」「山城」が炎の塊と化している惨状を目の当たりにして愕然となり、
さらに旗艦「那智」が大破炎上漂流中の「最上」と衝突損傷したため進撃を断念。戦果はなく、コロン湾に帰投した。
2日後の27日、レイテ沖海戦で損傷した「鬼怒」の救助に向かったが発見できず、
帰途に米空母艦載機の攻撃によりフィリピン諸島シブヤン海にて沈没。荒艦長以下全員が戦死した。
同年12月10日に除籍された。
出演
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艦隊これくしょん-艦これ-
主角 舰队Collection-
藤田咲
CV
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艦隊これくしょん -艦これ-
配角 舰队Collection -
艦隊これくしょん -艦これ- 陽炎、抜錨します!
配角 舰队收藏 -舰Colle- 阳炎,拔锚起航! -
「艦これ」いつかあの海で
客串 舰队Collection 总有一天,在那片海
吐槽箱
#1 - 2015-2-12 12:10
A.one (https://bgm.tv/subject/467354)
#2 - 2015-2-15 22:21
亓杍 (——「哲学的意味がありますか?」)
#3 - 2015-5-12 09:29
昼間行灯 (可愛いの前では全面降伏なんです!!!)
#3-1 - 2015-5-13 23:07
飙猫车的此方酱
即使现在有了驱逐王,我还是觉得不知火更强气一些
#4 - 2021-6-28 06:13
真红时雨 (群青き導火線)